学校長挨拶

 本校のホームページをご覧いただきありがとうございます。

 「萌黄(もえぎ)に烟(けむ)る山脈(やまなみ)の香久留ヶ原(かくるがはら)は真秀ら郷(まほらさと)」。これは本校の校歌の冒頭部分です。「香久留ヶ原」とは本校が立地する地域の古称で,平安時代に相模から当地に赴いた菅原昭次(すがわら・あきつぐ)卿にまつわる伝説に由来します。歴史あるこの地を「学びの理想郷」と歌う校歌は,気高生の理想や学校生活そのものを見事に表していてます。

 さて,それでは,本校の紹介をいたします。
 宮城県気仙沼高等学校は,伝統校であるとともに,統合を経て前進を続ける学び舎です。まず,平成17年4月に,気仙沼高等学校(77年の歴史を有する全日制男子校)と鼎が浦高等学校(81年の歴史を有する全日制女子校,定時制共学校)が統合されて新たに気仙沼高等学校となりました。その後,平成30年4月に気仙沼高等学校と気仙沼西高等学校(33年の歴史を有する共学校)との統合により現在の気仙沼高等学校となっております。
 長きにわたる歴史の中で,これまでの卒業生は43,000名を超え,全国各地で活躍をされております。なお,今年度,本校の全日制普通科は18クラス(1学年6クラス)で男子302名,女子315名,計617名が在籍しています。定時制普通科は男子12名,女子16名,計28名の在籍です。

 そして,伝統と精神は,校訓「究理創造・和親協働・至誠励業」に受け継がれています。

 「究理創造」・・・物事の理(ことわり)を明らかにし,新しいものをつくること
 「和親協同」・・・親しみあい,ともに働くこと
 「至誠励業」・・・真心をもって業に励むこと

 さらに,現在の気仙沼高校が目指しているのは,地域に愛着を持って学び,地域に貢献したり,世界に羽ばたくなど,未来に向かってチャレンジする若者を育てることです。そのために,全日制・定時制ともに,探究学習等で,挑戦を続ける古里・気仙沼の魅力を再発見し,生徒たちが各自の視点で,意欲的に学んでいます。また,令和4年度に気仙沼市産官学コンソーシアムが発足し,探究的な学びに関して本校も連携しております。

 最後に,震災から13年が過ぎましたが,当時幼少期だった世代が高校生となり,「震災の記憶を持つ最後の世代」と自覚して,教訓を未来に伝え新たな社会の創造を担うべく努力しています。本校生も地域内外の多くの皆さまと交流しながら学びを進めてきました。生徒たちは純粋な気持ちで頑張っております。その頑張りを後押しして,一人一人の夢の実現に向かわせたいと思っております。
 今後とも,本校の教育にご理解とご協力を賜りますようお願い申し上げます。


令和6年4月
宮城県気仙沼高等学校長  荒木 順

校訓・校章

校訓

究理創造 和親共同 至誠励業

 

校章

三角形を組み合わせた図案は、気仙沼湾(鼎が浦)の「鼎(かなえ;古代中国で用いられた三本足の鍋・釜)」をモティーフとしています。

また、現気仙沼高校の母体となった旧気仙沼高校、旧鼎が浦高校、旧気仙沼西高校を象徴するものでもあります。

校歌

作詞 熊谷 龍子   作曲 加古 隆

萌黄に烟る  山脈の
香久留ヶ原は 真秀ら郷
理想を胸に  集いきて
刻む歴史の  一ページ
いま悠久の  戸を開けむ 

水清らなる  大川の
汀に映ゆる  青葉光
ともに学べる 春秋に
友愛の輪の  芽吹く校庭
いま悠久の  道往かむ 

鼎が浦に   広がれる
世界を繋ぐ  波の綾
学びの窓に  培いし
飛翔の翼   ひらく時
いま悠久の  空駆けむ
ああ 気仙沼高校

 

 

校歌の録音データ:01 気仙沼高等学校校歌.wav

沿革
大正14年4月 気仙沼商業補習学校が設立
昭和5年4月 気仙沼商業実践学校に改組
昭和19年4月 気仙沼工業学校に改組
戦後 町立の第二高等学校設立
工業学校の一部は気仙沼高校に、一部は水産高校に転校
昭和24年3月 気仙沼町立第二高等学校を吸収合併して定時制課程が開校
普通科、商業科、家庭科、衛生看護科などの学科を開設
昭和26年3月 宮城県鼎が浦高等学校定時制課程に改称
平成2年4月 普通科のみの男女共学の夜間課程として再編
平成17年4月 気仙沼高等学校と鼎が浦高等学校が統合
気仙沼高等学校定時制と改称
平成30年4月 気仙沼高等学校と気仙沼西高等学校が統合